私がバンギャになった日。(後編)
1991年9月6日。SMAPのMステ初出演を見届け、SMAPファンとしてSMAPと共に歩み始めた。だが、その道は実はV系バンギャへの道だったことを、この時は知る由もなかった。
…というのが前編のお話。
この日の気持ちの高ぶりを文字に起こそうと試みたが、「これ以上ないくら胸がいっぱいだった」という「記憶」は残っているものの「感情」としては遠いものになってしまっていた。結果、ただの前振り程度の話になってしまった。ああいう気持ちの高ぶりはその時の勢いに任せないとなかなか書けないものだと気づく。
さて。1991年9月6日放送のMステにはXも出演していた。SMAPはトップバッターだったから私のこの日のMステは最初の5分で終わっていたが、他の出演者のトークの合間にSMAPが映り込んだり、話を振ってもらえることもあるわけで、それらを一瞬たりとも見逃すまいと、そのままMステを見ていた。
Xという存在との出逢いはこの日が初めてだった。なにやら奇抜で派手な格好の、街で見かけたら決して近寄りたくないようなロックバンド、という印象しかなかった。
このXに、2歳年下の妹が反応を示した。「この人たち、すごい!!!」と。まったく理解できなかった。私も妹も、それまではいわゆるアニメオタクだった。この時すでにそれなりに有名だったであろうXを知らない程度に、アニメ以外のジャンルには興味がなかった。そもそもMステだってそれまでは学校で周りと話を合わせるためにたま~~~に見る程度だったのだ。
そんな妹が、なんかよくわからないけど、突然Xにハマった。そして、録画したMステを繰り返し見ながら、そのすごさを解説してくれた。YOSHIKIさんか奏でる美しいメロディのピアノのイントロからの高速ドラムとか、Toshiさんのハイトーン・ボイスとか。いちおうその主張はわからなくもなかったが、私はやっぱりアニメオタクなSMAPファンだった
2か月後、11月1日放送のMステに再びXが出演した。曲は「Say Anything」だった。優しさを感じるこのバラードは好きだと思った。最初に聴いた「Silent Jealousy」とのギャップから、Xに少し興味が湧いた。妹はすでに完全にのめり込んでいた。
この当時、いわゆる生写真というものが普通にそのへんの本屋でも売っていた。ライヴ中に、おそらく非公式に撮影された写真があたりまえのように売られていた。それが当時は許されていたのか、よくわからない。まあこの頃はいろいろユルかったのだろう。
私はSMAPの生写真を買いたくて足繫く店に通った(そういえばこの時買った生写真はどこに行ったのだろう?実家の押入れを探したら出てくるだろうか)。SMAPなどのアイドルだけでなく、Xのライヴ写真も売っていた。ライヴの写真はTV出演で見せるポーカー・フェイスとは全く違う、ものすごく楽しそうな笑顔だった。あの人たちがこんな笑顔を見せるなんて。Xのライヴというのはどれほど楽しいものなのだろう?Xのライヴに行ってみたい、と思った。
これが、私がV系バンギャとして覚醒した瞬間だと思っている。なので、正確には1991年9月6日は私がバンギャになった日、とは言えないのだが、Xに出逢った日であることは間違いないので、便宜上、この日をバンギャ・デビュー記念日ということにしている。
オタク気質ゆえ、Xに興味を持ってからの私の行動は早かった。アニメというジャンルには『アニメージュ』、『アニメディア』といった雑誌がある。ジャニーズには『Myojo』や『Wink up』がある。ということはこのヴィジュアル系というジャンルにもなにかしら雑誌があるに違いないと推察し、本屋の音楽雑誌コーナーを探して見つけたのが『SHOXX』だった。この雑誌を起点に、その表紙が、まさにヴィジュアル系という世界の扉だった。
私がバンギャになった日。(前編)
バンギャ・デビュー30周年にあたり
私は明日バンギャ・デビュー30周年を迎える。かれこれ人生の3分の2くらいをバンギャとして過ごしてきたことになる。未だ、現役である。
おかしいな。10代の頃は「バンギャなんてハタチまで」と思っていたのに。
しょうがないじゃないか、当時からの最推しが未だ現役なのだから。とはいっても、惰性でバンギャをやっているわけではない。
バンギャするために猛勉強して浪人もして大学に進学した。大学院にも進学した。留年もした。会社員の父親を見ていて、社会人になったら好きなことできなくなると信じていたからできる限り学生でいる時間を引き延ばしたかった。そして、パート主婦の母親を見ていて、結婚したら好きなことできなくなると信じているからおひとりさまである。最低な娘だ。
だが、後悔はしていない。後悔なんぞしてたまるか。
もしも最推しが引退したら。
そのときがバンギャを上がる日かもしれない。
次の推しを見つけてバンギャを続けるかもしれない。
できればそうしたい(笑)
バンギャであることが幸せだと思っているから。
それは逃げなのかもしれない。
でも、いいじゃないか。それで私は幸せなんだから。
いまのところ、地方の小さな会社の事務職に就いて働いてる。ちゃんと納税してるし、公共料金の滞納はしてない。学生時代に借りた奨学金約400万円は20年くらいかけてちゃんと返済したし、警察のご厄介になることもなく生きている。文句はなかろう。
バンギャ人生30年目。多趣味であれこれと手を出す割には長続きしない自分。唯一途切れずに続いているのがバンギャ活動だ。そういう、なにか続けてきたという財産的なものはこれしかない。
バンギャでいて幸せだ、という気持ちをなにかしら形にして残しておきたいと思った。
楽しかったこと、嬉しかったこと、切なかったこと。
幸せだと思える日々を与えてくれた、この30年に出逢ったすべてのバンドと、バンギャ友と、見守ってくれているパンピな友人たちと、家族に、心からの愛と感謝をこめて。
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自分も推したちも現役なので特にここ数年くらいのことには触れずにおこうと思っております。自分の発言で不用意に迷惑が掛かることは本意ではないゆえ。また、個人を特定できても、そっとしておいていただければ幸いです。